2015年6月12日金曜日

自分の役割の捉え方

今日は私の個人的な『考え方』を書きたいと思います。
そう前置きをした理由は、それが正解で正しい考え方であるとは思ってもらう必要がないからです。
あくまで私個人がカウンセラーとして信念としているものであるというのをご理解いただきたいと思います。

カウンセリングという仕事をしていると、相談者の方に『感謝』をされることは少なくありません。
「先生のおかげで解決しました」
「生きる希望になりました」
そういった感謝の言葉をいただくことは、とても嬉しく励みになります。

そして同時に、『謝罪』をされることもあります。
「お世話になってばかりですみません」
「あの時はご迷惑をおかけしました」

相談者の方が、そんな風に私のカウンセラーとしての奮闘や努力に対して謝罪の言葉をかけてくれることも少なくありません。
勿論、相談者がそう感じたのなら私は否定はしませんし、その心遣いを尊くも感じます。

しかし、本音を言わせていただくと、謝罪は必要ないとそう思っています。
なぜなら、私はカウンセラーという役割で関わらせて頂いているので、カウンセリングを行っていく上でどのような苦労や大仕事をこなしたとしても、それは仕事だから当然の責任だと考えるからです。

このような書き方をすると、カウンセラーという役割に徹した人間味のない印象を持たれてしまうかもしれませんが、カウンセラーと相談者は決してドライな関係ではなく、限りなく身近で親身な関係性だと信じ関わらせていただいています。

矛盾を感じるかもしれません。しかしこう考えてみて下さい。
誰よりも身近で親身でありつつも、カウンセラーという役割を逸脱しない存在
それが私の思う理想的なカウンセラー像です。

カウンセリングのルールの中に、身内のカウンセリングを行うことは好ましくないというものがあります。
理由のひとつに、関係性が近過ぎることでカウンセラーという役割に徹しきれないというデメリットが挙げられます。
そんな理由も含め、カウンセラーという役割に徹するというのは、質の良いカウンセリングを提供するためには必要な要素だと言えます。

限りなく親身だけれどもビジネスとして関わる。それが相談者の方にとって最良の私という存在の提供方法だと考えています。

かつて、私の知り合いがこんなことを言っていました。

「恩を受けることが恥じゃない、受けた恩を返さないことが恥なのだ」

誰かに何かをしてもらう時に遠慮や引け目があると、折角の恩も十分に受け取れないことがあります。
だから、恩に限らず何かしらを受ける時は全力で、自分の為だけを考えて受けて欲しいのです。

そして、返せるようになったら存分に返せばいいのです。
恩を返すといっても形は様々です。

何か形として同価値のものを求めることもあれば、
笑顔になって幸せになってくれることが恩返しだという人もいるでしょう。
子供に与えた見返りは、子供が健やかに生きてくれればそれで十分と考える親もいるでしょう。

恩返しの形に決まりはありません。
返すことばかりを気にしてしまって恩を全力で享受できないのは本末転倒です。

カウンセリングの話に戻しましょう。
では、カウンセラーは何を見返りとするのか。
我々はきちんと正規の料金をいただき、カウンセリングを提供しています。
ですので、恩返しをして頂く必要はありません。既に我々は見返りをいただいているのですから。

だから、これからカウンセリングを受けようと思っている方は、
何も気にすることなく、自分の求めるものを遠慮なくカウンセラーに求めてもらっていいのです。
その求められるものに対して、私の出来る可能な範囲内で全力でお応えします。
その結果、カウンセリングが良い結果に繋がることこそが、最優先の目的なのですから。

最初に言ったように、これは私の個人的なカウンセラーとしてのあり方です。
ボランティアでなく、個人的な趣味でなく、職業としてこの仕事を選んだ以上、
対価をいただきそれに応えて全力を尽くす。
それが礼儀であり責任だとそう思って日々臨んでいます。

相談者の方からの感謝や謝罪の気持ちは嬉しいですよ。
でも私は当然のことをしているだけです。
ということが言いたかった。たるみでした。


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教材用のカウンセリングDVD制作を計画しています。
つきまして、ボランティアでクライエント役をして頂ける方を募集しています。
興味のある方は下記宛先『名古屋 栄カウンセリング』までメールでのご連絡お待ちしています。



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名古屋 栄カウンセリング
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